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海外の多くの専門誌が、「歴代最も偉大な日本人ボクサー」として名前を挙げている、元世界フライ級、バンタム級王者のファイティング原田(笹崎)選手は、1968年2月27日に日本武道館で、伏兵ライオネル・ローズ(豪)にまさかの判定負けを喫し、世界バンタム級王座5度目の防衛に失敗。

”黄金のバンタム”、エデエル・ジョフレから奪った王座に別れを告げた原田選手は、フェザー級転向を表明。フライ級、バンタム級に継ぐ三つ目のベルト取りを宣言。この時代、世界王座は11階級しかなかった。

バンタム級118ポンド・53、52キロ。フェザー級126ポンド・57、15キロ。このサイズの違いがいかに大きく、戦いに影響を及ぼすかは現場の関係者のみならず、目の肥えたファンなら知ってしかるべきであるが、未知のクラスへ挑む事になった原田選手への評価は、今では考えられない厳しいものだった。

Fighting Harada vs. Lionel Rose
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フェザー級転向を発表した後の5月21日に発表されたWBAランキングには、原田選手の名前はどこのクラスにも見当たらない。そして、同月27日に発表された日本ランキングにも前世界バンタム級王者である原田選手の名前はなかった。それはフェザー級での実績がないからで、まさに裸一貫からのスタートを強いられたのである。

原田選手の再起第一戦は、6月5日後楽園ホールと決まった。対戦相手は世界フェザー級4位にランクされるドワイト・ホーキンス(米)。1968年3月27日、世界入りを狙った無敗のホープ柴田国明(ヨネクラ)選手を、強烈な左ボディブローで7回KOに切って落としている強豪で、エディ・タウンゼント氏がトレーナーとして就いていた。

フェザー級ノーランカーの原田選手が、世界のスタート台に就くためには、絶対に落とせない試合。原田選手は「負けたら引退!」の強い決意を持って試合に臨んだ。バンタム級時代は壮絶な減量を繰り返してきたが、フェザー級では練習後笑顔が出る余裕がある。ジムの後輩ライオン古山選手は、「以前は一緒にいても、いらだっているようで怖くてちょっと話しかけられなかったですが、今度は冗談も言ってくれますので気が楽です」と、階級アップがプラス材料になっているとコメント。

「ホーキンスはロードワークと練習以外はホテルから出ないよ。とても真面目ネ。原田はナイスボーイだから勝たせてあげたいけれど、ホーキンスを勝たせるのが私の商売だから仕方ないネ」(タウンゼント)

試合が始まると原田選手は試合開始ゴングと共に一気にラッシュ。元気満々の先制攻撃で一気にペースを握った。リングサイドからは、「さすがに減量が楽になった原田の攻撃は迫力ある」との声があがる。4回までは完全に原田選手が試合を支配した。

Fighting Harada vs. Dwight Hawkins
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しかし、ホーキンスも黙っていない。5回、ややスピードの鈍った原田選手に的確なパンチを繰り出し反撃。ホーキンスは得意の左ボディブローを決め原田選手の脇腹が赤く染まると、一転切り返しの右フックを顔面に送りポイントを挽回。

7回はホーキンスの攻勢の前に原田選手はあわやダウンの大ピンチ。ホールのファンからは、「打たすな。打たすな!」の絶叫が飛んだ。何とかこのラウンドを乗り越えた原田選手に笹崎会長は檄を飛ばす。

「原田!ジョフレのときの根性を忘れたのか!。ここで頑張らなきゃ男じゃないぞ!。原田、男になるんだ。男になるんだぞ!」

8回、開始ゴングと共に原田選手は、「ホーキンス、この野郎!」と突進するが、思わぬ不運が原田選手を待ち受ける。両者もつれて絡み合ったひょうしでバランスを崩した原田選手のコメカミに、ホーキンスのパンチが軽く触ったその刹那、原田選手がキャンバスへ両手をつくとダウンが宣告された。

痛恨のダウン宣告を受けた原田選手だが、激しい闘志は衰えない。9回、今度はホーキンスがヘッディングで1点減点を取られた。最終ラウンド、両選手は渾身の力をこめて打ち合う。どちらも譲らない闘志と闘志のぶつかり合い。大歓声の中、試合終了ゴングは鳴らされた。

そして勝者は、「原田!」。スコアはレフェリー遠山47-45、ジャッジ、ポップ46-46、ジャッジ手崎46-44。前半の貯金がものをいって原田選手の手が上がった。狂喜する原田陣営と、判定に不満のホーキンス。試合の評論では打たれても、打たれても打ち返す原田選手の超人的闘志が絶賛された。

Fighting Harada & sasazaki
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「7回のピンチの時は、さすがに投げたい気持ちになってしまった。だけど、会長にハッパかけらて、クソーッと思って・・・。僕が勝てたのは皆のおかげです」(原田選手)

「驚きです。原田だからあれが出来たんです。よくやってくれた。こんなにうれしいことはありません。今日負けたら、その場で原田に引退を声明させるつもりだった。その時は、どういう具合にそれを発表しようかと心ひそかに考えて、悩んでいた。原田はただただ偉い男だと、わが弟子ながら脱帽します」」(笹崎会長)

6月24日発表のWBAランキングで、原田選手はフェザー級4位にランクされノーランクから脱出。しかし、敗れたホーキンスも内容が評価され5位に残された。実力だけが評価された時代であった。

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