1976年に公開された映画「ROCKY」は世界中で大ヒット。無名の役者シルヴェスター・スタローンを一気にスターダムに押し上げた。今までの中途半端な人生にケリをつける為、無敵王者に立ち向かったロッキーの姿は、自分もそうありたいと願う世界中の人々の心を掴んだ。
僅か3日間で脚本を書き上げたというスタローン。そのきっかけとなったのは、1975年3月24日(日本時間25日)に米・オハイオ州クリーブランドで行われた、世界ヘビー級王者モハメド・アリ(米)vs挑戦者チャック・ウェプナー(米)の世界ヘビー級タイトルマッチ。

1974年10月30日(日本時間31日)、ザイール(コンゴ)の首都キンシャサで行われた世界ヘビー級タイトルマッチ。王者ジョージ・フォアマン(米)=40戦全勝(37KO)=と、元王者モハメド・アリ(米)の一戦は、100人の内99人が自信を持ってアリのKO負けを予想したが、大衆のヒーロー・アリはフォアマンを8回でKOするという奇跡を起こして見せた。
世界最強フォアマンを破ったアリが、初防衛戦の相手に選んだのが、世界ランキングにも入っていないウェップナー。これを聞いたファンの反応は、ただ驚くばかりで、一部では”悪い冗談”と受け取られた。試合直前となった3月2日発表のWBCランキングに挑戦者の名前は見当たらず、WBAがかろうじて10位に押し込んだ。米国では記者の誰もがまともなボクシング記事として扱わないほどの、世界ヘビー級タイトルマッチ。

「この10年間、ダウンした事も、KOされたこともないんだ!」(ウェプナー)
これまでの戦績は31勝(12KO)9敗2分。やる気だったのは、酒屋のセールスマンが本業のウェプナーただ一人。目の上を切りやすくTKO負けが多かった35歳の挑戦者には、10万ドル(約3000万円)のファイトマネ-が約束されていた。
アリのファイトマネーは150万ドル(約4億5千万円)。「何もしなくていいのに150万ドルになる。これはいけないことだ」と、最強のフォアマンに勝ったばかりのアリも全く挑戦者の事を舐めきっていたし、ライバルのジョー・フレージャー(米)は、「こんな相手なら一晩に5、6人はかたずけられる」と、ウェプナーを見下していた。
試合の結末は、予想通りと言えばそれまでであるが、ウェップナーの奮闘ばかりが目立った。誰が見ても、ふざけている王者の実力が数段上である事はわかる。しかし、そんな王者に対して、おかまいなく一生懸命に立ち向かった挑戦者。

だが、パンチは当たらない。それでも当たらぬパンチを打ち続けたウェップナーは、第9ラウンド、幸運ながらアリからまさかのダウンを奪う。試合は後半戦へももつれ込むが、アリも疲れ、試合はだれ気味となる。
打ちたい時に打ち、休みたい時に休んでいたアリが、最終ラウンド、王者の面目にかけてラッシュを仕掛けると、粘りに粘っていたウェプナーもついに力尽き、試合はストップ。アリが挑戦者をようやく仕留めたのは、試合終了ゴングまで残り残すところ19秒となっていた。14回までのスコアは、138-129、136-129、135-129でアリ。

「アリは、3分のうち30秒しか本気で戦わなかった」と言われ、試合は悪い冗談の延長で戦ってとされたアリに対し、愚直にただひたすら偉大な王者に立ち向かった挑戦者は、最終回ついに力尽きたが、その奮戦ぶりは観戦者に訴えるものがあった。

1975年の稼ぎが、ガイドをして得た週休35ドル、月に約100ドル。年間収入が1400ドル(当時のレートで約42万円)でしかなかったというスタローンもその一人。ウェプナーの奮戦により、「ROCKY」が誕生し、「ROCKY」を観た多くの人間がその人生を変えるきっかけを掴んだ、史上に残るタイトルマッチ。あれから50年。早いものです。