DANGANジムのセコンドとして、選手をサポートしている写真家の佐藤ヒデキ氏が、1989年から90年代初めにかけて撮影した、写真集『OSAKA 大阪残景』 (アートビートパブリッシャーズ刊行)が発行された。

佐藤氏は1983年9月6日、ほろ酔い気分で観ていた深夜のボクシング番組。日本スーパーフライ級タイトルマッチ。王者ジャッカル丸山(国際)選手と、挑戦者 関 博之(帝拳)選手によるダウン応酬の大激戦に心打たれた事がきっかけで、ボクシング界とかかわりを持つようになった。

1993年に発行された佐藤氏がボクサーの顔を撮影した写真集、『BOXER』は、元日本スーパーフライ級王者ジャッカル丸山(国際)選手がトップを飾る。

試合翌日、この試合の勝者となった丸山選手が所属する国際ジムの高橋美徳会長に手紙を書き、国際ジムで念願の丸山選手の撮影に成功。その後もボクサーを撮り続け、その足は韓国、フィリピンにまで及んだ。シャイアン山本(国際)選手が日本ライト級王座を獲得した試合で、初めてセコンドを経験。ボクシングの世界にのめり込み、現在に至っている。

丸山選手のプロデビューは1977年2月25日に後楽園ホールで行われたが、対戦相手は私の先輩、横尾博行(ミカド)選手。当時、16歳だった私は東京に来てまだ4ヶ月。横尾先輩とは練習時間が同じで、面倒を見てもらった。そんな縁で試合を見に行ったのだが、中村 隆 (後に井上真吾氏にボクシングの手ほどきをした)先生に言われ、椅子上げを手伝った。今思えばこれが、セコンドデビューである。

共にデビュー戦同士の試合は、初回、丸山選手が2度のダウンを奪った(当時は3ノックダウンでKO)が倒し切れず、2回以降、横尾選手は足を使い、後半は丸山選手を苦しめたが、丸山選手が4回判定勝ち。試合後、「相手、トイレでゲーゲーやってたよ」と言う横尾先輩の言葉が、頭に残っています。

丸山選手はその後、全日本新人王を獲得し、日本王者となり、世界タイトルへ挑戦するボクサーへと成長。そして、佐藤氏がボクシングの世界へのめり込むきっかけを作った。

それにしても、1983年9月6日深夜、ヒデキさんがいつものように?泥酔せず、ほろ酔いだった事は、不幸中の幸いであり、それはボクシング界の歴史に少なからず影響を与える事になった。

ヒデキさん、写真集の発行、おめでとうございます。また今度、ほろ酔い気分で、ボクシングのお話、しましょう。