第2代WBC世界ライトフライ級王者ルイス・”ルムンバ”エスタバ(ベネズエラ)が、2月16日(日本時間17日)にベネズエラ・カラカス市内で逝去。享年86歳。生涯戦績は41勝(27KO)9敗2分。1975年9月13日(日本時間14日)にカラカスで、ラファエル・ロベラ(パラグアイ)との王座決定戦を4回KOで制し獲得した世界王座は、11度の防衛に成功している。
1938年8月生まれのエスタバは、8歳からボクシングを始め、アマ時代125勝2敗の戦績を残したが、プロデビューは遅く、1967年2月。当時ライトフライ級はなく、平凡なフライ級ファイターだったが、1975年に世界ライトフライ級王座が創設されてから頭角を現す。
1975年4月4日(日本時間5日)にイタリア・ミラノで行われた、WBC世界ライトフライ級王座決定戦で、バレンティン・マルティネス(メキシコ)に12回失格勝ちで初代王者となったフランコ・ウデラ(イタリア)は、防衛戦を行うことなくWBCから王座を剥奪された。
2代目王者となったエスタバの初防衛戦は、沖縄で地元出身の島袋武信(東洋)選手を相手に行われる事が決定。フライ級時代に世界ランキングに入った事もなく、年齢も37歳。これまでの戦績も29勝(21KO)7敗2分けと平凡で、来日後、「16歳の長女を頭に7人の子供がいる」事が告白されると、23歳の島袋選手への期待が一気に高まった。
1975年12月17日に沖縄・那覇市の奥武山体育館で行われた沖縄初の世界戦は、初回が終わると記者席からは「恐ろしいボクサーがいたものだ」との声が聞かれ、完全なエスタバペースで進められた試合は、10回、エスタバの右カウンターが決まり島袋選手は前のめりにダウン。よく立った挑戦者だったが、レフェリーはここで試合をストップ。9回までのスコアは、手崎副審が1ポイント挑戦者に与えたのみで、他はエスタバのフルマークだった。

日本の関係者は、「この選手が7度も負けているとは信じられない。攻めてよし、守ってよし。離れてもいいし、接近戦も問題にしない。アントニオ・セルバンテス(コロンビア)を思わせる動きだ」と絶賛。37歳の王者の評価は一転した。
ライトフライ級に転向してから、1977年10月30日(日本時間31日)にカラカスでネトルノイ・ボラシン(タイ)を15回判定で破り、11度目の防衛に成功した試合までの戦績は18戦全勝で、そのうち13度はKO勝利という、ライトフライ級では無敵の強さを誇ったエスタバだったが、1978年2月19日(日本時間20日)にカラカスで、伏兵フレディ・カスティーヨ(メキシコ)に14回TKOで敗れ世界王座から陥落。
1978年7月29日(日本時間30日)にカラカスで、カスティーヨから王座を奪っていたネトルノイに挑戦したが、あえなく5回KO負け。これがラストファイトとなった。ご冥福をお祈りいたします。