1月23日、大阪・エディオンアリーナ大阪で行われた、WBA世界フライ級タイトルマッチで、王者アルテム・ダラキアン(ウクライナ)=22勝(15KO)1敗=に挑んだ、同級1位ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)=19勝(11KO)2敗1分=選手は、見事なファイトでダラキアンを12回判定に破り、世界王座を獲得。「守安ジムみんなで獲ったチャンピオンベルトだと思う」と語った阿久井選手が、試合後のリング上で、所属する倉敷守安ジムの守安竜也会長の腰に、チャンピオンベルトを巻く姿には感動を覚えた。
岡山県のジムから初の世界王者誕生。1987年4月に開設したジムから、3度目の正直でついに世界王者を誕生させた守安竜也会長は、「長い夢がかなえられた。感無量です」と語り、涙をにじませた。「最高峰の世界チャンプを作りたい。成し遂げるまではあきらめることはできない」という夢は、ついに現実となった。
守安会長は地元の岡山平沼ジムから1974年11月にプロデビューしたが、2連敗からのほろ苦いスタート。それでも翌年の西日本フェザー級新人王を獲得。地方ジムのハンデで呼ばれればどこへでも行き、誰とでも戦った守安選手は、上原康恒(協栄)選手、バトルホーク風間(奈良池田)選手らとも対戦する中で、5連敗も記録。
そんな中、8勝(5KO)13敗と黒星が大きく先行した1981年8月27日に、日本スーパーライト級王者福本栄一(石丸)選手への挑戦のチャンスを掴む。いや、掴んだというよりも世界4位にランクされていた福本選手の、負け役として選ばれた試合だった。
しかし、守安選手はアマ王者からプロ転向。ハワイ・デビューから日本王者に駆け上がっていた福本選手を大番狂わせの9回KOに破り、日本王座を獲得。守安選手を指導した平沼誠明会長は、「こいつは夏場であっても、私が冷たい物は飲むなというと、それを絶対に守るヤツでした」と、その意思の強さを自慢していた。
王者となったものの単なるラッキーと見なされていた守安選手は、ここから真価を発揮する。初防衛戦で元王者の杉谷 実 (協栄)選手の挑戦を一蹴。この試合はリングサイドで杉谷選手を応援していましたが、ラストラウンド終了ゴングと同時に、金平正記会長がタオルを投げ込んだほどでした。
V2戦は三迫ジムからデビューしていた元アマ王者のスター選手大久保克弘(三迫)選手の挑戦を受けたが、これを5ラウンドでKO。華々しくデビューを飾ったアマ王者の最後が、雑草王者に踏み潰されるとはなんとも皮肉で、驚かされた一戦でした。そして3度目の防衛戦は、満を持して王座奪回を狙った福本栄一(石丸)選手を返り討ち。守安選手の世界ランクはWBA3位まで上昇した。
農協に務める庶民派チャンピオンは、岡山のスパースターとなり、ローカルのTVコマーシャルにも出演するほど。そんな中で迎えた4度目の防衛戦は、1982年7月にアーロン・プライアー(米)の持つWBA世界王座に挑戦し、敗れたばかりの亀田昭雄(協栄)選手を相手に行われた。
1082年11月2日、後楽園ホール。世界ランカー同士の対戦は、愚直なファイターと華麗なテクニシャンのスタイルが全く違う同士のぶつかり合い。守安選手の地元岡山からも多数の応援団が繰り出し、地元TV局も来ている。そして、この試合に勝てば世界挑戦も現実味を帯びてくる。
しかし、亀田選手はさすがに上手く、平沼会長の「どうしたプライアー!」の掛け声もむなしく、10ラウンドを通じ守安選手の攻撃は封じられ、フルマークの判定負けで王座陥落となった。しかし、ガードを上げ、ラストまであくなき前進を続けた守安選手のファイトぶりに対し、TV解説の輪島功一氏は「涙がでますね」と感激していた。そして、リングを去る守安選手に大きな拍手が送られた事も忘れられない。
「長い夢がかなえられた」。阿久井選手の勝利は多くのボクシング人に、新たな夢と希望をもたらすものでした。本当におめでとうございます。今後の守安&阿久井コンビの活躍に注目。