日本人選手として初めてとなる世界ウェルター級王座獲得を期待される、OPBF・東洋太平洋、WBOアジア・パシフィック・ウエルター級王者で、WBO世界ウェルター級2位、WBA、WBC、IBF4位にランクされる佐々木 尽 =19勝(17KO)1敗1分=選手が所属する八王子中屋ジムは、佐々木選手が「顔」となる冠大会、第1回佐々木 尽 杯スパーリング大会を5月6日に東京・新宿フェイスで開催する。
プロファイトさながらの選手入場ライティングをはじめとし、両コーナーの選手入場曲も別々に流すという本格的な演出で運営。大会パンフレットには、出場選手の写真が記載され、勝者には佐々木からプレゼントが贈呈される。出場対象者は日本プロボクシング協会加盟ジムの小・中学生から一般会員、デビュー前のプロ選手までとなり、既に募集を開始している。
当日は18時から同ジム主催のプロ興行「東京、新宿 歌舞伎町 BOXING #7」が開催され、スパーリング大会の試合開始は正午12時で、受付、計量は10時30分となっている。申し込み締め切りは4月21日。会場にはDJブースが設けられ、音楽とボクシングの程よい空間が作り出される。詳細は八王子中屋ジム公式ブログを参照。
「スパーリング大会は僕もよく出ていましたがお互いの人生と人生の魂がこもった本気のぶつかり合い、非日常的な興奮と感動でその時間が熱くなり最高の空間になりますよね。是非皆様沢山の応募して頂けたらうれしいです! 僕も世界に向けて頑張りますのでお互い頑張りましょう!」(佐々木選手)
八王子中屋ジムのブログに、”大きな試合が近く決まるやもしれない”とあるように、佐々木選手の世界挑戦の時も近づきつつある。佐々木選手は3月29日(日本時間30日)に、米・ラスベガスのフォンテインブルーで行われた、WBO世界ウェルター級タイトルマッチを、八王子中屋ジムの中屋一生会長と観戦。
試合は王者ブライアン・ノーマンJr(米)=27勝(21KO)無敗2NC=が、同級13位の挑戦者デレク・クエバス(プエルトリコ)=27勝(19KO)2敗1分=を、3回2分59秒TKOで破り初防衛に成功。試合後には日本から用意して来た挑戦状を王者の横で読み上げ、手渡している。
世界ウェルター級は、4月12日(日本時間13日)に米・ニュージャージー州アトランティックシティのボードウォーク・ホールで、IBF王者ジャロン・”ブーツ”・エニス(米)=33勝(29KO)無敗1NC=と、WBAエイマンタス・スタニオニス(リトアニア)=15勝(9KO)無敗1NC=による王座統一戦が行われる。
早ければ6月にも日本での開催が予測される佐々木選手のターゲットは、試合を偵察したWBO王者ノーマンJrか、昨年11月15日(日本時間16日)に米・テキサス州アーリントンのAT&Tスタジアムで、伏兵アベル・ラモス(米)=28勝(22KO)6敗3分=と引き分けて以来、具体的スケジュールが出ていないWBC王者マリオ・バリオス(米)=29勝(18KO)2敗1分=となる。
佐々木選手が挑戦状を手渡した後のノーマンJrのコメントを聞く限りでは、日本に来るのを楽しみにしているように感じるが、エニスvsスタニオニス勝者との王座統一戦勝者との対戦を視野に入れているのも事実で、全てはファイトマネーと、それに見合う対価となる。
昨年夏に交渉されたエニスvsノーマンJrは、交渉は最終同意に近づいているとされていたがまとまらなかった。エニスのプロモーター、エディ・ハーンは最初100万ドルとしていたノーマンJrの報酬を、150万ドルまで上げオファーした事を明かしたが、ノーマンSrは対戦する意思はあるが、試合報酬はエニスと同額を要求。かなりの隔たりがあった。
王座統一戦を前にしたエニスSrは、昨日、エニスが勝てばノーマンJrとすぐにでも対戦すると挑発しているが、この辺りは、要は最終的にファイトマネー次第という事なのだろう。
世界ウェルター級挑戦者の歴史
日本人選手未踏の世界ウェルター級王者が来日し、防衛戦を行ったのはWBA王者ホセ・クエバス(メキシコ)が最初で、1976年10月、金沢市で辻本章次(ヨネクラ)選手の挑戦を6回KOで撃退。初防衛戦のクエバスは世界王者となる1ヶ月前にテクニシャンのアンディ・プライス(米)に負けており、戦績も16勝(14KO)6敗と平凡。華々しいアマキャリアを持つ辻本選手のテクニックに期待がかかったが、世界王者となったクエバスの自信とパワーの前に粉砕されてしまった(5回までのスコアは三者三様のイーブン)。
1978年2月には龍反町(野口)選手が、米・ラスベガスのヒルトン・スポーツ・パビリオン特設リングで、WBC王者カルロス・パロミノ(メキシコ)に挑戦。キャリア69戦目にして日本人選手として初めてラスベガスで世界戦を戦ったが、パロミノは強く7回KO負け。この試合のプロモーター、アイリーン・イートン女史は、「負けはしたけれど、ラスベガスで戦ったということは生涯忘れないで。あなたは誇りを持っていいのよ。立派に戦って立派に敗れたのだから。ボクサーをやめた後も、このことを決して忘れないでほしいわ」と、反町選手をねぎらった。
1988年2月、尾崎富士雄(帝拳)選手が米・ニュージャジー州アトランティックシティで、マーロン・スターリング(米)が保持していたWBC王座に挑むも、善戦むなしく12回判定負け。1989年12月10日、東京・後楽園ホールで同級1位の指名挑戦者として、WBA王者マーク・ブリーランド(米)に挑戦したが、王者のパンチにより古傷の右瞼をカットし大流血。続行不可能となり無念の4回TKO負け。これがラストファイトとなった。
2009年10月にウクライナで、佐々木基樹(帝拳)選手がWBA王者ビチェスラフ・センチェンコ(ウクライナ)に挑戦するも、12回判定負け。そして、これ以降日本人選手が世界ウェルター級王座に挑戦した試合はない。ハードパンチとボクシング・センスを併せ持つ佐々木 尽 選手への期待は高い。
プレミア・ボクシング・チャンピ…
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