元IBF世界スーパーライト級、WBAスーパー、級王者、WBA世界ウェルター級王者のリッキー・ハットン(英)が、14日(日本時間15日)に英・グレーター・マンチェスターの自宅で亡くなっているのが見つかった。地元警察によると、事件性はないという。享年46歳。ハットンは現役復帰を表明し、12月にドバイでリングに上がることが決定済で、トレーニングに余念がなかった。
ハットンは2005年6月4日(日本時間5日)に英・マンチェスターで、コンスタンチン・チュー(ロシア➟オーストラリア)の持つIBF世界スーパーライト級王座に挑戦。執拗なボディ攻撃でチューに迫り、11回終了棄権に追い込みTKO勝ちで世界王座奪取に成功。この試合は”リッキー・ハットン”の名前を一躍世界中のボクシングファンに知らしめ、英国内での人気を不動のものにさせた。

同年11月にはWBA王者カルロス・マウサ(コロンビア)を破り王座統一に成功。2006年5月13日(日本時間14日)には、米・ボストンでルイス・コラーゾ(米)を12回判定で破り、WBA世界ウェルター級王座を獲得。しかし、この王座はすぐに返上。元のスーパーライト級に戻した。
2007年12月8日(日本時間9日)にはラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで、WBC世界ウェルター級王者フロイド・メイウェザーJr(米)と対戦するが、10回TKO負けで初黒星。2009年5月2日(日本時間3日)には、同会場でマニー・パッキャオ(フィリピン)と対戦。第2ラウンド、パッキャオの左フックを喰らい失神KO負けを喫した。

引退後はプロモーターとしてハットン・プロモーションを主宰。息子のキャンベル・ハットン、実弟のマシュー・ハットンもプロボクサーとして活躍した。
突然の訃報に接したパッキャオは、「リッキー・ハットンの訃報に接し、深い悲しみを感じている。彼はリングの中で偉大なファイターであっただけでなく、人生においても勇敢で優しい人だった。リッキーはリングの中だけでなく、人生の旅路においても勇敢に戦った。彼は本当によく戦った。彼の素晴らしい旅の一部になれたことを、私たちは皆祝福している。 ハットン一家と彼の愛するすべての人々に、私の祈りと深い哀悼の意を捧げます。この困難な時に主が力と慰めを与えてくださいますように。彼が安らかに眠れますように」とのメッセージを寄せている。
ファンに愛された優しきヒットマン、リッキー・ハットン。あまりに早く突然の訃報に、ただただ驚くばかりです。心からご冥福をお祈り申し上げます。