1月31日(日本時間2月1日)に米・ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われた、WBO世界スーパーライト級タイトルマッチで、1階級下のWBC世界ライト級王者シャクール・スティーブンソン(米)=24戦全勝(11KO)=に大差の判定で敗れ王座を失ったテオフィモ・ロペス(米)=22勝(13KO)2敗=に対し、今こそロペスはシニアと別れる時だとの声があがっている。

ロペスのトレーナを務めるシニアは、「試合前までは全て順調だった。100%勝てると確信していた。だが、息子は私が指示したことを実行しなかった。シャクールのリズムを変えることで、動きを封じるはずだったんだ。あれは私の息子ではなかった。息子は精神的に簡単に揺さぶられるタイプなんだ」とコメント。

これには一部、称賛する声もあるが否定的意見が大多数で、対戦相手のスティーブンソン、昨年5月に戦った前WBO世界同級暫定王者アーノルド・バルボサJr(米)=32勝(11KO)1敗=をはじめとして、多くの評論家、関係者、ファンがロペスはシニアと別れ、新しい指導者とコンビを組むべきだとしている。

Teofimo Lopez vs. Shakur Stevenson

これはDAZNにより放映された試合の音声から、スティーブンソン陣営が試合の進行状況に合わせ、その都度適切なアドバイスをおくっていたのに対し、シニアは混乱し、「おい、どうしたんだ。打って行け!」と言うばかりで、「ジャブを決めろ」以外に具体的な指示がなかった事に起因している。

この件に関しロペスはいまだに沈黙を保っているが、自身の全てのSNSは封印してしまった。

ロペスは幼少のころからシニアの指導を受けボクシングを続けて来た。ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)にも勝利したが、伏兵ジョージ・カンボソスJr(オーストラリア)にライト級王座を追われ、スーパーライト級に上がってからは世界王座こそ獲得したが、盛り上がりに欠ける試合が続いていた。

そんな中の2024年11月、サウル・カネロ・アルバレスのトレーナー、エディ・レイノソがロペスのチームに加わる事が発表される。「私のコーナーには2人のエディ・ファッチ(年間最優秀トレーナー)賞受賞者がいる」とロペスはご満悦だったが、翌年3月にレイノソはチーム・ロペスから離れる。

ロペスが希望していた、「カネロと一緒にトレーニングする事を望んだんだ。スパイしに行くわけじゃない。学ぶためだ」というプランは実現されず、「なぜそれが許されない」とロペスは苛立った。

Brian Norman Jr

ボクサーには精神的支柱が必用である。父親が幼少期からトレーナーとして息子を鍛え、世界王者に導いた例は幾多もある。しかし、最近ではWBO世界ウェルター級王座を失ったブライアン・ノーマンJr(米)=28勝(22KO)1敗2NC=が、実父でありメイントレーナーであったシニアとのコンビを解消。元WBC、IBF世界ウェルター級&WBAスーパー王者エロール・スペンスJr(米)=28勝(22KO)1敗=らをサポートして来た、デリック・ジェームズを新たなトレーナーに迎えている。

ノーマンJrは第2ラウンド開始前、シニアからから「倒しに行け」と指示を受けたが、逆に倒された事がシニアを解雇せざるを得なくなった理由の発端であると発言。シニアが全てを自分の思い通りにさせる事に反発した。

これに対しシニアは、「思い通りに育て、形を作り、ある意味洗脳して来た。彼は私の小さな兵士だ。それが問題の一部だと言っている。彼は自分らしさを見つけたいと願っている。だが、作り上げたのは私だ。俺に代わる奴はいない。ふざけるな」と激怒。いまだ和解の話は聞いていない。

ロペスと同じく米・ニューヨーク出身の元世界3階級制覇王者ウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ)も、4歳の時から父ゴーヨの指導の下で腕を磨き、17歳6ヶ月でアントニオ・セルバンテス(コロンビア)を破り、WBA世界スーパーライト級王座を獲得。

Wilfred Benitez

ウィルフレッドが8歳の時に一家はプエルトリコへ移住し、ベニテス家の裏に特設されたジムで練習が行われるようになったが、この時、仲間に入って来た近所の子供の中には、後のWBC世界ライト級王者エスデバン・デ・へスス(プエルトリコ)もいる。

1976年3月6日、プエルトリコ・サンファンで行われたセルバンテスへの挑戦試合では、地元でも「ミスマッチ」の声しきりであった。何せベニテスはまだ高校生。対するセルバンテスは難攻不落、10度の王座防衛記録を更新していた。ウィルフレッドは「7500ドルのファイトマネーは全部親父にやるから、俺をチャンピオンにしてくれ!」とゴーヨに懇願。

猛練習のかいあってウィルフレッドはスプリットの判定でセルバンテスを破り世界王座を獲得。だが、高校生王者は有頂天となり、「親父は俺の心まで支配しようとした。俺だってもうガキじゃない。自分の考えがあるんだ」と反発。熱心なトレーニングからは遠ざかるようになる。

2度防衛後セルバンテスとの再戦が決まるが、ガールフレンドとのドライブ中の交通事故により試合はキャンセル。王座は剥奪された。復帰後も引き分け試合こそあったものの負け知らずのウィルフレッドは、1976年11月、日本でもお馴染みの元WBC世界スーパーライト級王者ブルース・カリー(米)と対戦するが、ゴーヨの言う事に全く耳を傾けず、試合前日までディスコに入り浸り、この試合に費やした練習時間は、なんと賞味1時間しかなかった。

Wilfred Benitez vs. Bruce Curry

ウィルフレッドは4回に2度のダウンを奪われ、5回にも倒されたがニューヨークのラウンド採点システムに助けられた形で幸運なスプリット判定勝ち。再戦では2-0判定で勝利するが、その後も遊び癖は治らず、トレーニング時間はほんのわずか。それでも勝利を積み重ねて行った。

手を焼いたゴーヨは、息子に他人の飯を食わせる事を決断。後にマイク・タイソン(米)の師となるカス・ダマトが新トレーナーに就任する。しかし、「わがままが強すぎて、自分の手には負えない」とダマトは時間を置かずに身を引いた。

ウィルフレッドは、「彼のトレーニングは、俺の知っている事ばかりだ。それを一からやり直せといわれても、俺にはバカらしくてやる気が起きなかった」と語っているが、ダマトは「この道には彼の知らない事が多いという事を、聞こうとしなかった」と述べている。

Wilfred Benitez vs. Carlos Palomino

次のトレーナーは元世界2階級制覇王者のエミール・グリフィス(米)で、1979年1月、WBC世界ウェルター級王者カルロス・パロミノ(メキシコ)の王座を攻略し2階級制覇に成功。同年3月、一度引き分けているハロルド・ウェストン(米)との初防衛戦が決まるが、ジムとはおさらばの日々が続き試合は大苦戦。

息子のへの干渉はやめていたゴーヨだが、競馬場で聞いていたラジオ中継から聞こえるウィルフレッド苦戦中と伝えるナウンサーの絶叫を聞き試合場へ直行。コーナーへ駆け上がると、いきなりビンタを喰らわせた。「何てザマだ。飛び込んで行って、ヤツを殺してしまえ!」と怒鳴りつけると、ウィルフレッドは後半猛反撃を見せ勝利を手に入れた。

試合後、ゴーヨは息子のチーフトレーナーに戻り、同年11月、シュガー・レイ・レナード(米)との対戦が決まる。しかし、ウィルフレッドは反抗的態度を改めず、父の指導には従わず練習期間はわずか1週間。「ウィルフレッドはレナードに負ける!」。そう予言したゴーヨの予言通り、ウィルフレッドは15回KOで敗れタイトルを失う。プロ7年目の初黒星だった。

試合中に「なぜ、行かない!」とシニアから叱咤し続けられたテオフィモ・ロペスは、この先どんなキャリアを積んで行くのだろうか。興味深く見守りたい。