4団体統一世界スーパーバンタム級王者井上尚弥(大橋)=32戦全勝(27KO)=選手が、スポーツビジネス専門の米メディア「スポーティコ」が発表した2025年のアスリート長者番付で、総収入6200万ドル(約99億円)で25位に入った。内訳はファイトマネーなどが4500万ドル(約72億円)、副収入が1700万ドル(約27億円)となっている。
日本人アスリートのトップは8位のメジャーリーグ大谷翔平選手の1億250万ドル(約163億円)で、井上選手はそれにに続いた。日本のプロボクシング選手が1年間で100億円を稼いだという事実は、これからの将来を背負う次世代に大きな夢を与える。
1935年(昭和10年)、かの”拳聖”ピストン堀口(不二)選手のファイトマネーは、1試合約3000円。時の内閣総理大臣の月給は600円という時代で、堀口選手はこの年8試合を消化している。

1936年、ハワイへ遠征した堀口選手はここでも人気を博し、日本円にして1万のファイトマネーを得ている。昭和11年の日本の物価はコロッケ3銭、カレー20銭、牛乳7銭、コーヒー15銭、ラーメン10銭、そば13銭、映画50銭、銭湯7銭、封書3銭、ハガキ1銭5厘、新聞(1ヶ月)90銭、レコード1円20銭、週刊誌13銭。
日本人初の世界王者となった白井義男(カーン)選手は、1952年11月にダド・マリノ(米)の持つ世界フライ級王座に挑戦した時の報酬は50万円。4度の防衛に成功するがファイトマネーの最高は720万円。当時の大学出の初任給は8千円から9千円で、入場料はリングサイド席3500円、大衆席で300円程度。白井選手が手に入れた原宿の土地は一坪3万円だった。
1968年12月、米国行きの飛行機代は前借でロサンゼルスへ出発し、僅か9ヶ月で世界王座を獲得。アメリカン・ドリームを実現させた”シンデレラボーイ”、元世界フェザー級王者西城正三(協栄)選手は、世界王座獲得後の14試合で総額約3億円を稼いだ。1971年9月のラストファイトとなったアントニオ・ゴメス(ベネズエラ)戦の報酬は10万ドル(3600万円)。プロ野球、王、長嶋選手の年俸が5千万円に満たないという時代だった。

1976年5月。WBC世界戦で初めての入札となった世界ライト級戦。王者ガッツ石松(ヨネクラ)選手は、挑戦者エスデバン・バン・へススの地元プエルトリコへ出かけて防衛戦を行う事になったが、この時の石松選手のファイトマネーは無税の20万万ドル(6千万円)。
”ロッキード事件”で田中角栄前首相が逮捕された1976年、ホームラン49本を打った王選手の年俸は5260万円。大卒初任給は94300円。
1979年、年間4度の防衛に成功した具志堅用高(協栄)選手は、1月のリゴベルト・マルカノ戦で4000万円、4月のアルフォンソ・ロペス戦で4600万円、7月のラファエル・ペドロサ戦で5000万円、10月のティト・アベラ戦では5300万円のファイトマネーを獲得し、合計は1億8900万円。
他の副収入を合わせて、「具志堅は去年1年の税金を、8千数百万円払っているんですからね。それもある程度の経費を認めてもらって」(金平正紀会長)というほど稼いだ。プロ野球の最高は王選手の8160万円。

1994年12月に行なわれたWBC世界バンタム級王座統一戦。薬師寺保栄(松田)vs辰吉丈一郎(大阪帝拳)戦は入札となり、3億4200万円で薬師寺選手側が興行権を落札。辰吉選手には規定の1億7100万円のファイトマネーが支払われた。この年、プロ野球最高年俸は落合博満選手の3億8千万円。
井上選手が所属する大橋ジムの大橋秀行会長は2009年11月、朝日新聞紙上で3回にわたり連載された『”世紀の一戦”(内藤大助vs亀田興毅)の陰で』というコラムの最後の締めくくりで、”野球や大相撲とともに戦後のプロスポーツを支えてきたボクシングが今、大きな岐路に立っている”とし、「何とかしないとボクシングは古典芸能になってしまう」と、プロボクシング界の将来を危惧していた。
この時、井上選手は16歳。2012年10月に大橋ジムからプロ入りする事になる。この年2月に行われた日刊スポーツの「エンタメなんでもランキング」の”日本のプロボクシング世界王者で歴代最強は誰?のアンケートで第1位に選ばれたのは具志堅選手。全3489票のうち、948票の得票はダントツであった。

そして今や井上選手は、世界のパウンド・フォー・パウンドの1位、2位を争うまでの選手となった。井上選手がブレずにここまで活躍してこれたのは、大橋会長のボクシングに対する真摯な向き合い方と、人を大事にする姿勢が大きな力となっている事は間違いない。
「いつも大事な時だけ、返信不要でメッセージ入れるんだけど、必ず返して来るんだよ。忙しいのに凄いと思うよ」(大竹重幸氏)
ともかく、井上選手とそれに追随する選手の活躍により、小さな子供から現役選手まで、大きな夢を持てるような時代となり、ボクシングが古典芸能になってしまう事は避けられた。しかし、大事なのはここから。業界のさらなる発展を願います。
