日本のリングで輪島功一(三迫)、柴田賢治(斉田)、工藤政志(熊谷)選手らと、世界王座を賭けて戦った元WBA世界スーパーウェルター級王者エディ・ガソ(ニカラグア)が、9月19日(日本時間20日)に逝去。享年73歳。ガソは1977年3月、地元ニカラグアでミゲル・アンヘル・カステリーニ(アルゼンチン)の持っていた世界王座を攻略。ニカラグア・ボクシング史上2人目の世界王者となった。

貧困の中からボクシングの道へ飛び込んだガソだが、1969年3月のデビュー戦は6回判定負け。2戦目は勝利したが、その後は2連続KO負け。4戦1勝の厳しいプロスタートだった。しかし、努力を積み重ね国内でも予想外と言われた世界チャンピオンの座に就くと生活は一変。

カステリーニ戦で2千ドルだったファイトマネーは、1977年6月7日に日本武道館で行われた輪島選手との初防衛戦では14万ドル。同年9月の柴田戦では18万ドルを稼いだ。1978年8月、秋田で工藤選手に王座を奪われるまで3度の防衛に成功。世界王座陥落後はトーマス・ハーンズ(米)とも対戦。1984年3月にジュリアン・ジャクソン(米)に敗れたのを最後に引退。通算戦績40勝(22KO)12敗2分(Bocrec)。

輪島戦は生観戦しました。前評判が恐ろしく悪かったガソに対し、輪島選手の3度目の王座返り咲きが期待されましたが、34歳の輪島選手は最初から動きが悪く劣勢が続き、第11ラウンド、ついに三迫仁志会長がタオルを投げ入れ試合はストップ。「強くはないが、やりにくくて、あれで案外上手い」(三迫会長)という独特のスタイルの持ち主でした。

ガソは現役時代の名声から女性にもて、生前、「30人の女性との間に38人の子供がいる」と主張。現役時代同様の凄いスタミナには驚かされるばかりです。ご冥福をお祈り申し上げます。