1974年11月23日(日本時間24日)に米・カリフォルニア州イングルウッドのフォーラムで、WBA世界フェザー級王者ルーベン・オリバレス(メキシコ)に挑戦した、同級2位アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)が、13ラウンド1分20秒KOでオリバレスを破り、ニカラグア史上初の世界王者となってから50年。

1974年2月16日(日本時間17日)、パナマシティでエルネスト・マルセル(パナマ)の持つWBA世界フェザー級王座に挑戦したアルゲリョは、技巧派王者マルセルをよく攻め、追い込んだが15回判定負け。公式スコアはセルビオ・トゥーリオ・レイ(パナマ)主審146-140、 フアン・カルロス・タピア(パナマ)副審146-140、ハルモディオ・セデーニョ(パナマ)副審146-142。オフィシャルは全て、王者と同国人だった。

21歳だったアルゲリョは世界初挑戦に失敗したが、苦しみながらも王座防衛に成功したマルセルは試合後、「これからはアルゲリョの時代だ」と語り、4度防衛した王座を返上。25歳の若さででリングに別れを告げ引退。マルセル返上後の王座は、同級2位歌川善介(勝又)選手と、3位のオリバレスで争われる事になった。WBA、WBC共に世界ランク1位には、WBC世界同級王座を返上したエデル・ジョフレ(ブラジル)を置いていた。

1974年7月9日(日本時間10日)にイングルウッド、フォーラムで行われた、歌川選手とオリバレスによる王座決定戦は、オリバレスが7回KO勝ち。1-3と不利な予想の中、敵地のリングで初の世界タイトル戦のリングに上がった、日本屈指のテクニシャン歌川選手だったが、柔らかいキャンバスの影響からか、自慢のフットワークは使えず、オリバレスの強打に屈した。

オリバレスが初防衛戦で迎えたのが、世界2位にランクされていたアルゲリョ。試合前の賭け率は10-7でアルゲリョ有利。しかし、フォーラムはオリバレスのホームリングで、観衆のほとんどがオリバレスを崇拝するメキシカンである。

長身から放つジャブ、右ストレートで好スタートを切ったアルゲリョは、5回、左フックでオリバレスの膝を揺らし、前半戦を押さえる。しかし、オリバレスは6回から反撃。「メヒコ」の大合唱を受けながら、強烈な左右フックを振り前進するオリバレスは、8、9、10回とアルゲリョを圧倒。

オリバレスの強烈なボディブローに耐え、ピンチをしのいだアルゲリョは、11回以降何とか立て直すが、オリバレスのアタックはしつこい。後退しながらもパンチを返し、反撃の糸口を見つけようとしていたアルゲリョは、迎えた13ラウンド。オリバレスの顎に左ショートフックをカウンター。オリバレスはたまらずダウン。

立ち上がったオリバレスは再開後、またもや前進し、アルゲリョに迫る。だが、アルゲリョは冷静にオリバレスの攻撃を受け止めると、今度は右アッパーを顎に一閃。再びキャンバスへ崩れ落ちたオリバレスは、ディク・ヤング(米)主審のテンカウントを聞いた。

ニカラグア史上初のチャンピオン誕生。22歳の新王者はリング上で感涙にむせんだ。「アイドルだったオリバレスから、王座を奪えるなんて・・・」。

ニカラグアの英雄となったアルゲリョは3度目の防衛戦で来日。1975年10月12日、東京・蔵前国技館で18戦全勝(16KO)のレコードを誇る”KO仕掛け人”、ロイヤル小林(国際)選手の挑戦を受け、5回2分47秒KO勝ち。フィニッシュブローとなった、左ボディは今もなお鮮明に記憶に残るが、まさかあれほどの名選手になるとは。

ニカラグア・ボクシング界の隆盛は、全てアルゲリョの世界王座獲得から始まった。12歳の時アルゲリョからボクシングの手ほどきを受けたローマン・ゴンサレスは4階級制覇を達成。5階級制覇達成に野望を燃やしている。