7月11日にフィリピン・ボホール島のタグビラランで開催された、PMIボホール・ボクシング・プロモーション興行のメインイベント。WBOアジア・パシフィックミニマム級王者でWBC世界同級6位、WBA8位、WBO10位、IBF13位のジョセフ・スマボン(フィリピン)=10勝(5KO)1敗=と、OPBFシルバー・ミニマム級王者ジェン・シオウ(台湾)=10勝(8KO)1敗1分=による王座統一10回戦は、スマポンの判定勝ちとなったが、21歳のジェンは世界ランカー相手に大善戦。
アマ時代に世界ユース選手権に出場。2023年6月、日本でプロデビューを果たしたジェンは、主にタイでキャリアを積み、3月1日に台湾・台中市の廷原フィジカルトレーニングで行われたOPBFシルバー・ミニマム級王座決定8回戦で、服部凌河(横浜光)=6勝(4KO)4敗1分=選手を判定で破り王座を獲得。
試合はがっちり型のサウスポー、スマボンが圧力を掛け前進。身長で11センチ上回るジェンは足を使い上体を柔軟に動かしながらスマボンの隙を狙う。3回、スマボンの左ボディアッパーで上体が起きたジェンは、接近戦で左アッパーを被弾。もつれ合って倒れ込んだが、8カウントを取られた。

ここはすぐに立ちスマボンの攻勢を遮断。その後もエンジン全開で前に来るスマボンの決定打を外し、よく粘ったがポイントを取り切るまでには至らず、3人のフィリピン人ジャッジは99-90、98-91、97-92とスコア。点差が開いたが、ここまでの差はなかったように思われます。
ジェンはまだまだ線が細く、技術的にもこれからだろうが、足と柔軟な上体の動きを駆使したボクシングには伸びしろが感じられた。
台湾初のプロ選手ロッキー・リン(ロッキー)は日本で活躍。1988年5月にプロデビューを果たすと、14連勝を記録しWBC世界ミニマム級1位まで躍進。1992年10月、東京・後楽園ホールで念願の世界挑戦を果たすが、時のチャンピオンはあのリカルド・ロペス(メキシコ)。第2ラウンド、ロペスの強烈な左フックを喰ったリンは大の字に失神しKO負け。

再起後は再び連勝を続け、1998年8月にはワンディー・シンワンチャー(タイ)とWBC暫定王座を争ったが12回判定負け。リンはこの試合を最後に引退し母国に帰国。後進の指導にあたっている。
アマチュア大国である台湾はボクシングのプロ化を目指しコミッションを発足。長い親交がある盟友ウリセス佐藤氏がシニア・アドバイザーに就任。選手らのマッチメイク、サポート及び国際業務の支援を行っており、今度のフィリピン遠征にも帯同。
国内選手の強化全般を目指すという佐藤氏は、「咬ませ選手を供給するために仕事をする気はありません」と断言しており、今後、来日する台湾選手の活躍に注目。ロッキー・リンを超える選手の誕生を期待したい。
