元WBC世界フライ級王者でユカタンの英雄ミゲル・カント(メキシコ)が、4月16日(日本時間17日)に逝去。享年78歳。世界王座を14度防衛したカントは、1998年に国際ボクシング殿堂入りを果たし、1999年にはAP通信により、パンチョ・ビラ(フィリピン)と共に「世紀のフライ級ボクサー」の一人に選出された。
日本のリングには4度上がり、1975年1月8日、宮城県仙台市で大熊正二(新日本木村)選手が保持していたWBC世界フライ級タイトルに挑戦。どちらが勝ったともいえない競り合いのまま試合は終了。地の利で大熊選手の防衛成功かと思われたが、ジェイ・エドソン主審(米)147-145、ホセ・M・エスカランテ副審(メキシコ)149-145、手崎弘行副審147-147の判定で王座奪取に成功。リングアナウンサーの、「勝者カント」のコールを聞いたカントは、きょとんとしていたのが印象的。
リングのマエストロと呼ばれたカントだが、1969年2月5日のプロデビュー戦は3回TKO負け。3戦目でも4回TKO負けと、身長155センチの小兵カントの船出は厳しいものだった。

1973年8月のベツリオ・ゴンサレス(ベネズエラ)とのWBC世界フライ級王座決定戦では15回判定負け。47戦目となった大熊選手への挑戦試合で勝利すると、初防衛戦でゴンサレスの挑戦を撃退。1975年8月には地元メキシコ・メリダで高田次郎(協栄河合)選手に11回TKO勝ち。
1976年5月には花形進(協栄河合)選手の7度目の世界挑戦試合を15回判定で一蹴。1977年6月には東京・品川スポーツセンターで触沢公男(東洋)選手を一方的に打ち破り15回判定勝ち。1978年1月には大熊選手の故郷、郡山市で大熊選手の挑戦を受け、ジェイ・エドソン(米)主審147-146、ホセ・M・エスカランテ副審(メキシコ)147-145、羽後武夫副審145-148のスプリット判定勝ち。地元での敗戦に大熊選手は悔し涙にくれた。
この敗戦には日本プロボクシング協会の三迫仁志会長も、「WBCに抗議し再戦すべきだ」と怒りをぶちまけ、コミッションの後押しもあり、両者の3度目の対決が決まる。1978年4月、東京・蔵前国技館で行われた試合はまたもや接戦となったが、カントが勝利。スコアはハリー・ギブス(米)主審145-144、エンリケ・ヒメネス(フィリピン)副審148-145、内田正一副審147-144で、いずれもカントだった。

1979年2月10日、メリダで行われた14度目の防衛戦では、後のWBC世界フライ級王者アントニオ・アベラル(メキシコ)に判定勝ち。3月18日には韓国へ飛んでプロキャリア僅か10戦(9勝5KO無敗1分)の朴賛希(韓国)の挑戦を受けたが、まさかの敗戦で王座陥落。同年9月にソウルで行われた再戦は15回引き分けで、惜しくも王座返り咲きはならなかった。
その後もカントはリングに上がり続けたが、世界王座返り咲きのチャンスは来る事なく、キャリアの最後は3連続KO負けを喫し、グローブを壁に吊るした。生涯戦績61勝(15KO)9敗4分。死因は心筋梗塞とされているが、慢性進行性疾患による健康状態の悪化に加え、脳損傷に起因する合併症にも苦しんでいた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
